高木正勝×原摩利彦 TALK EVENT #3

2019年6月9日BANG & OLUFSEN KYOTO POP-UP STOREにて開催された古都・京都にゆかりの深いふたりの音楽家、高木正勝さんと原摩利彦さんによる初の対談。前・中編につづき、後編をお届けします。

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高木:音楽ってビデオカメラみたいに記録をちゃんとできるというか。歌った人の人生とか癖とか、どこに力を入れているとか、体のどこが悪かったとか、どんな天候で生きてきたとか全部残っちゃう。

高木:どんな感じの音楽がお好きですか?題名というよりは感覚でも。

原:すぐにこういう感じの音楽が好きですとは今思いつきませんが、最近ペダルを踏まない「トゥルルン」というピアノの音がこの辺に(右脳のあたりを指差して)ずっと流れてるんです。何か気になっているんでしょうね。そこからはじまるというような予感はあります。本当まだまったく曖昧ですが。「音楽って国境を越える」とかそういう感覚ももちろんあるんですけど、一方で音楽だけで例えば幕末の混乱を具体的に表現できるかって思った時に「それはできひんよな」と考えたりもしています。何かのサウンドトラックとしては成立するかもしれないですけど。音楽だけ聴いてこんな人間関係があったのかっていうのはわからないじゃないですか。

高木:本来の音楽はそっちだった気がしていて。音楽ってビデオカメラみたいに記録をちゃんとできるというか。ちゃんと生まれた音楽って、その歌った人の人生とか癖とか、どこに力を入れているとか、体のどこが悪かったとか、どんな天候で生きてきたとか全部残っちゃうというか。嘘偽りなく出るから。例えばアフリカの人が歌うとわかる。この人が都会的な生活を好んでるのか、土を好んで暮らしている人かはバレると思うんです。それで前は映像を作ってたけど最近はあまり作れてないんですよ。引っ越してから。音楽だけでちょっとずつできてるかわからないけど自分なりに「これはもうビデオカメラ要らないかも」と。自分が知らない世界のことはできないけど、自分が目の前で見た今日の朝の空気は「絶対表現できる、残せる」っていうのに最近気づいてきて。

― 口伝でずっと伝えられてきた音頭を高木さんが習われた話も『こといづ』中に出てきますね。

高木:下手で歌えてないんですけど。

― フィジカルだけで伝えられて残ってきたもの。昔はその方法しかなくてそれで伝えられてきたのかもしれませんね。例えば今の映画の代わりに文楽とか歌舞伎のような伝統芸能によって歴史も語られてきた。でも幕末って「沖田総司の回」とかたくさん作らないといけないだろうから、原さんが「無理」とおっしゃるお気持ちよくわかります。音楽だけで幕末に起こったことをすべて描写するのはめちゃくちゃ大変なことだというのはよくわかる。

原:幕末っていうテーマで作曲したいという意味ではなくて、具体的に、そして客観的に物事を描写するときの音楽についての考えですね。

高木:摩利彦さんはもう少し未知のところも挑戦されている感じがして、面白いなと思っていて。もしかしたら地球人が理解できないような音楽にも突っこんではるじゃないですか。例えばCMだったら確実に人間に伝わらないと意味がないと思って作るけど「植物にわかればいい」とか「宇宙人に聞いたら意味がわかるかな」という音楽にも挑戦されてるような感じが。原さんの音を聴くとそう思うので。

― その意味だと音楽は別に言葉に置き換えたりしなくても「込めれば届く」っていうものでもありますよね。それはスピリチュアルな感じではなく実感として。そのために音楽があるというか。音楽というコミュニケーションの方法が存在するのかなとも思いました。

原:僕は10代の時から音楽作る時に「作らなければいけないんだ」って思っているところがあります。
高木:自分の人生一回だからその間に「交わりたい」。使命感というより自分が直に体験しておきたいということだけかもしれない。

原:音楽や作品を作る上で使命感ってありますか?僕は10代の時から音楽作る時に「作らなければいけないんだ」って思っているところがあります。そう思いたいだけなんでしょうが。「全体のどこか1つを担わなあかん」というくらいの気持ちなんですけど、そういうのってありますか?

高木:昔の音楽を聴いた時に(例えばここに集まったみんなで楽器がなくても)「パッ」と歌えたりする曲がいっぱいあるんですよ。今だとそれがテレビのヒット曲になるのかもしれないですけど。歌われている内容も、自分たちの地区の身近な人たちみんなが毎日関わることが歌詞になっていて「パッ」とみんなで一緒に同じ心で歌える。音楽作ってると「すごいことやな」と思って。例えば隣に住んでる人ほど遠かったりするじゃないですか。自分の作っている音楽が遠く離れた人とは共感し合えるけど、隣に住んでる人も自分の曲を聞いてくれたらうれしいけど必ずしもそうじゃないから。そういう地方のそういう音楽を聞いた時に一番「こういうことを起こしたい」と、自分もそういう場所にいたいなと思ったりします。1人でできる音楽も大事だけど、今やっている窓を開けて自然の音と一緒にやるというのは「流行ればいいな」と思って黙々とやってる感じもある。

今日初めて三光鳥っていう「月日星ホホホ」って鳴いてるように聴こえる、三つの光で三光鳥というらしいんですけど。普段鳴いてても「ホーホケキョ」のウグイスぐらいしかわからないじゃないですか。でも三光鳥は「トゥトトゥトゥホッホッホッ」って鳴くんですけど、一緒に演奏してようやく名前を調べて興味を持って覚えると、もう次からちゃんと名前もわかるし、次出会ったら「一緒にピアノ弾いた鳥や」と思えるから味方が増えるんですね。敵じゃないし、知らんものじゃないとなると、自分にとって懐かしい場所が増えていく。1個それを知ると、例えば川や土や木といろいろ興味が湧いてきて自分の家が広がっていく。ここも自分が知っているところ、自分が大事にしたいところが増えていくのを、自分だけじゃなくてみんながそうして生きてきたところに自分が進みたいという気持ちがあって「流行らしたい」。「自分の音楽いいな」じゃなくて「あっ!あそこでもやってる」「こっちでもやってる」って言うのを流行らしたくてじわじわ地道にやっています。

― それはさきほどの関係性の話にもつながりますね。自分で関係性を結ぶと世界が広がっていく。

高木:もうちょっとシンプルに「人間以外の生き物もいっぱいいるやん」って感じながら生きたいなと。そう思っている人が増えた方が僕には住みやすくて、それは1人じゃできないから「広めたい」ってやっている気がします。それがなかったら1人だけで弾いて「わぁめっちゃ最高!」って言って妻に一緒に聞いてもらって「いいよなあ」って言って涙しながらでもいいんですけど。

― マージナリアは本当にそうですよね。自然と一緒に奏でてらっしゃる感じがすごく伝わってきます。私も幼い頃に大阪の生駒山の近くの里山に住んでいまして。田んぼがあって山があってというところで聴いてた音が、今は全然聴こえてこないところに暮らしてるのですが、その感覚が体に遺っていて、それが「わっ!」と思い出されたりします。きっとトリガーがあって原さんの音楽を聴いていてもそれに触れるとその頃の感覚が呼び覚まされる気がします。

高木:おじいさんおばあさんとの暮らしにしても、鳥や自然の音にしても「ずっと続くものではないな」って思ってて、今のうちに一緒に自分の人生一回だからその間に「交わりたい」。使命感というより自分が直に体験しておきたいということだけかもしれない。

原:高木さんの住まわれている場所には筍は生えますか?

高木:生えますよ。

原:僕、中高ちょっと変わった学校に行ってまして、中学から昼の週に何時間か農作業みたいな時間があって、高校は午前中がずっと仕事なんですよ。学校の関連会社で農業研究所の農作業とか山に行ったり、冬は春に備えて土を作って春になったら筍掘りをするんですけど。僕、筍掘るのまあまあ上手いですよ。でかい鎌でちょっとだけ先出てて穂先がこっち向いてたらこっちが急所やってこっちだけを掘って(と架空の筍掘りを実演)。「小豆」って呼ばれる赤いところを見つけたら、その下あたりの急所を一発狙って掘る。それを高校の時は毎年行ってました。ですので筍掘りの時にはお力になれます。

高木:ぜひ!

原:途中で急所より上で刺すことを「中堀り」って言うんですけど、絶対NGですからやめてください。

原:京都は時間がゆったり流れてる感じがします。
高木:他のところなら笑われてしまったり逆に凄い神妙に取り扱うかもしれないのに、京都だったらちょうどいいところで面白がれる。そういうところが楽ちんかな。

来場者からの質問:私は高木さんとまさに同い年で京都で学生時代を過ごしていた時からファンだったんですけど、京都にお2人ともご縁があるかと思うのですが、何か京都と音楽性だったりとか京都に対する思いとか、今回京都でのトークイベントなので京都に対する思いをお聞きできたらと思います。

高木:生まれはこちらですか?

原:生まれは愛媛で、育ちは大阪の高槻です。京都が一番長いですけど。小学校1年生から大阪から京都女子大に通っていて、小学校6年生頃から京都に住みはじめてからずっと京都なんですけど。住みやすくないですか?

高木:6年前に兵庫県の篠山に引っ越したんですけど。京都は住みやすいですよね。いまだに買い物とかは京都に通ってます。全部そろってるし。

原:20代最初に東京に移ってバリバリやるぞっていう人もいる中で、どういうわけか僕はそちらにはいかないという前提があって。京都にいるけども作品は世界中を回ってる。ダムタイプとか名和晃平さんとか高木さんを含めそういう人たちに憧れて、自分もそういう人たちの方向に行きたいという気持ちがあって、僕は東京に行きたいっていう考えはあまりなかったんですね。もちろん仕事で行ったりはしますけど。京都は時間がゆったり流れてる感じがします。

高木:京都は何にも気にしなくていいものね。東京は凄いですよね。電車に乗った時の世界観の数と言うか。種類がすごい多くて隣の人が全然違う。でも京都はそこまで幅がないし考えることがすごく小さくて済む。でも京都にいる人は海外に飛びますね。たしかに東京に行く人はそんなに知らないかもしれない。京都の先にある都市というよりは、東京は東京。

原:「コンテンツ」って言われたくない自分がいて。東京って「コンテンツ」にされてしまうような気がするんですよ。そんなこと言ったらだめですかね。京都にいると「コンテンツ」にならずにいられるんじゃないかって気がしています。

高木:こういう話になると東京ってキーワードがどうしても出てきますね。でも普段の暮らしではあまり考えていないかもしれない。京都なにかあります?

原:京都には昔から残されている記録もとくに多くて。おもしろいのが中世によくあったと言われている鳴動です。天災や政変が起きるときには寺社などで音が鳴ったそうです。桓武天皇が都を守るために土製の部将の像を埋めた将軍塚がありますが、異変が起こる前になると鳴動したらしいです。そういった場所が身近にあるのが面白いなと思って。そういうのが好きですね。

高木:他のところに比べて「遊びがあっていいなぁ」と思ってて。面白いとかそういうことをすごく大事にしてるなと思ってて。「それ面白いやん」っていうその感じがちょっと違ってて。工夫というか。他のところなら笑われてしまったり逆に凄い神妙に取り扱うかもしれないのに、京都だったらちょうどいいところで面白がれる。そういうところが楽ちんかな。それで面白いものが出来やすいのかなとは思います。歴史を見ていても江戸以降はそういうことが厳しくなったり、可笑しみみたいなところが削がれたり感じがするから、何かを愛でたり自然を含めて面白がる。崇拝しすぎない感じがちょうどいい。だって全部に「さん」をつけるじゃないですか。「かみさん」とか「神社さん」とかあの感じ。味方というか友達が多い感じが好きです。


高木正勝

高木正勝音楽家 | 映像作家

1979年生まれ 京都出身

長く親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像、両方を手掛ける作家。『おおかみこどもの雨と雪』『夢と狂気の王国』『バケモノの子』『未来のミライ』の映画音楽をはじめ、CM音楽、執筆など幅広く活動している。最新作は、自然を招き入れたピアノ曲集『マージナリア』、6年間のエッセイをまとめた書籍『こといづ』。
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原摩利彦

原摩利彦音楽家 | 作曲家 | サウンドスケープ・アーティスト
京都大学教育学部卒業。同大学大学院教育学研究科修士課程中退。
音の質感/静謐を軸に、ポスト・クラシカルから音響的なサウンド・スケープまで、さまざまな媒体形式で制作活動を行なっている。アルバム《Landscape in Portrait》をリリース。ダミアン・ジャレ+名和晃平《VESSEL》、野田秀樹《贋作 桜の森の満開の下》などの舞台音楽を手がける。アーティスト・コレクティブ「ダムタイプ」に参加。
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聞き手:小夏浩一 写真:原祥子 編集:小夏麻記子